そういう意味では偽善者でありたい
早くも投稿頻度が落ちまくっている池田です。
これを誰かが読むのはきっとだいぶ先の話だろうと思うので、
時事ネタとかは避けたいと思います。
と言いつつ、思っていることなので言わせてください。
COVID-19、いわゆるコロナウィルスが猛威を振るっていて、
今は緊急事態宣言が発令されるほどの事態になりました。
この非常事態である種の生存競争のようなものも起きて、
地球の自浄作用だとかあるいは間引くための陰謀論だとか、
色んなことが言われています。
僕はもっぱらTwitterを見て言ってますが、大方皆さんもそうなんじゃないかなーと勝手に思ってます。
実際高齢者が社会的に負担になることは否めないと思います。
これは批判でもなんでもなく事実で、なぜならばそれだけ国への経済的な負担が大きくなるからですよね。
死んでほしいわけではありません。ただ負担であるとは思うという話。
人の優しさに触れる機会が減ってきている気がするんです。
自粛引きこもり生活でどんどん気が滅入って、寿命も減ってるくらいの感覚に陥るほどに。
有名人が亡くなって悲しみ、一般人が死んでも見ないフリをしていることに違和感を覚えたんです。
「○○さんが亡くなってみんなの危機意識が高まった」
糞食らえだと思いませんか?
失って初めて気づくとはよく言いますが愚かしい発言だと言わざるを得ません。
人の命は平等ですか?と尋ねればきっと殆どが首を縦に振るでしょう。
実際にそんなわけはないんです。行動にこそ価値は伴うと思うので。みんな実は気付いてるのに知らんぷりしてるんです。
何が言いたいかというと、現実に直面して人のことなどかまっていられないと、むしろ貶めあっているような状況。
普段から人に優しく生きたいと思ってるんです。
落とし物をしたら拾ってあげたり、道に迷っているなら教えてあげたり案内してあげたり。
これはほんの一例で、人に優しくする方法なんていくらでもあります。
きっかけなどなんでもいいんです。見返りを求めたっていい。
しない善よりする偽善はもしかしたら僕のモットーですね。
前置きは長くなりましたけど、要はこれが言いたかっただけです。長い。
動機が不純でも行動に移せばきっと何か変わるので、何かしたいなという所存です。
ブログ書くの下手だな。
今度音楽の話します。