価値観の多様性の末路
「末路」って基本的に悪い結果の時しか使われない感じがする。言葉の雰囲気からというか。刷り込みかな?
現代というかここ数年特に価値観の違いに対して寛容になってきてるなあと感じる。わかりやすいところで言うと性別に関することとか。趣味趣向とか男女平等ほにゃららetc...。
寛容であることには何も異議はなくて、でもそれを他人に指摘するようになってから、強制するようになってからとても違和感を感じている。
彼は彼女は、同性を好きみたいだ。それに対して普通じゃないとかいう言葉を使うのは失礼だ。
これは全然変に聞こえない。本人らが主張するのもまったくもっておかしくない。
例にとった性別とか性に関することは恐らく順調に多様性が認められる気がする。
ただもともと普通だったものが脅かされたらどうだろう、なんて考えてる。
最近の女尊男卑に近いような社会に、そういう危うさを感じてる。これは、というかブログ自体そういうものだから仕方ないけど個人の見解として参考までに。
日本は男尊女卑社会だったのは言うまでもなく、今でもその風潮が根強く残っている地域もあると聞く。それが今は、男女平等を目指すようになっている。でもきっと、平等のままではいられない。どこかで振り切るんじゃないかと思ってる。
これは振り子のように偏りを行ったり来たりするんだと解釈してて、いずれはまたどちらかに偏るんだろうと思ってる。
どこかで価値観の多様性もいきすぎる。寛容さはいずれ誰もが「持たなくてはならないもの」になるんじゃないかと。
監視社会みたいになってきてるのがすごく怖いけど、せめてここだけでも歯に衣着せぬ物言いをしていきたい。
ちなみに僕のバンド名である「タブー」もこれに近い信念というか思惑を持ってつけたもの。
ここだけはブレさせずに行きたいと思う。