現実と妄想のボーダーレスブログ

好きなことや嫌いなことを好きだ嫌いだと言うブログです

バイクぶんぶん乗り回したい

お久しぶりです、イケダです。

時間経ちすぎてようわからんことになってますけど、ここ一年はほんとにバイトしかしてなかった。

 

趣味といえるものがゲームとフットサルくらいしかない上に、フットサルの方は人間関係がめんどくさいことになりあまりできてないのです。故にゲームが少し上手くなりました。虚しい。でもバイト上がると疲れてYouTube見て寝る感じのサイクルになってしまったので、時間だけをただただ食い潰してました。

 

これはあかんと思いなんか心が動くもんねえかと思ってたら、

「そういえばバイトで乗ってる原付おせえ、うぜえ」

となり、こりゃ普通二輪ぐらい取って乗り回してえな、となってるとこです。取ってはいない。

逆張りオタクだからロイヤルエンフィールドのどれかを買いてえなとか思ってはいる。検索してみたら出てくるよ。あと近所に正規販売店?がつい最近できたの運命だと思ってる。欲しいねえ。

カッケェバイクに乗れば俺も少しはカッケェくなれるんじゃねえく?ってことで画策してますが、浪費のせいで進んでません。 カスですね 冬

 

やっぱり人生のハリは心の余裕からと言いますので、心動かしてストレッチしていかないとね。

食わず嫌いしてたものもガツガツ食ってかないと人生あっという間だよなぁと9月に25歳の誕生日を迎えてから強く思うんすよ。ブログもその一環です。なにかしら発信していかないと死んだと思われそうだし。

 

amazarashiは相変わらず追いかけてますが、前ほどのめり込んではないのが危機感増幅させますね。このままじゃいけないを反芻してるうちに取り返せないとこまで行ってしまいそう。こだまでしょうか。

でも消費する人生はとても楽ですよね。充実してるかどうかは別として。まるで麻薬です。消費と決別していきたいな。

 

文字に起こしてると段々頭の中が整理されていく感覚があるので、やっぱ思いついたときにやっていこうかな。誰も見てないだろうし。そういう気楽さが今の自分には必要な気がします。

 

VCR GTA始まったので今だけは消費を許して欲しい。寝れない二週間が始まったのだ。南無三

生きてるだけで丸儲けなんてそうそう言えない

お疲れ様でございます。池田です。

10月も半ばを過ぎ、急激に冷え込んでまいりましたがいかがお過ごしでしょうか。体調など崩さぬよう十分にお気をつけください。

 

下手くそな挨拶もし終えたところでやっぱり生きてる価値ないなって思う瞬間が1日1回はあることを報告しようと思いまし、た。

季節の変わり目は意外とバタバタして生きるのに必死になるような気がするんですが、本来の季節の変わり目というやつはもう少し後だったはずなんですがね。毎年「この季節は何着てたっけ」ってのを繰り返す僕にとっては普段と明らかに気温の変化が違う今年は困り果ててしまうものなのです。もう2年くらい普段着買ってない気がする。人と会わないからあんま関係ないけど、いざ会うってタイミングで何着ていいかわからないからその場しのぎでなんとかそれっぽい服をチョイスしてるんですけど、そろそろそろそろと適当に服買いに行かないといけないね。

 

季節に伴って、というより季節よりも物凄い早さで日常も絶えず変化するものですが、それはもちろん僕だけでなく多くの人が大なり小なり変化し続ける日常を生きているはずなんですけども。

どうにもその気配が見えないというかなんというか。普段通り過ごすように努めているのか、それともとっくに変化することに慣れてしまって本当に平気なのかわからない。みんなすごい。年金とか保険とかよく知らんまま24歳になってしまったし、未だに親の脛齧りつづけて、もう情けないったらありゃしない。親からしたら「僕が元気ならそれでいい」って思ってるし、それを尋ねたらそうだと言葉で返してくれるんだろうけど、わかってて訊くほど野暮

でバカではない。でもバイトして帰ってきてご飯食べてお風呂入ってゲームしてらだけの人生ってもう別に僕じゃなくていいし、かといって振り切って何かに没頭できるほどの器でもない。

自分に一番失望してるのは自分だと思ってます。周りがどう思っていようがそこは譲れない。これからもそういう感情を抱えて生きていくに違いない。できるだけ自分に恥じない自分でありたい“とは"思うんですけど。

今すぐ何かを始めなくちゃ、って毎夜思います。

オチなし妖怪に悪戯されてます。

人生がうまくいかなくなる神に会った

なんかたまーにのぞくとアクセスあって嬉しいです池田です。

バイト休憩中にツイッターずーっと見てるけど本当にみんないろんな活動しててすごいなぁって。わざわざなんもしてませんなんて報告する人はいないだろうけど。

ゲーム友達探す用のアカウントで本当に久しぶりに初めましての人と遊ぶ機会があったんだけど、たまたまその人がVTuberだった上に、聞いたらおおーってなるくらいのフォロワーいた(募集に来た時はサブ垢的なアレだったので気づかなかった)。仕事してるか知らんけどそんだけ何か続けた結果が出てるんだなぁって、すごいなーって。

あとフォローしてる人の関係でバンドの告知とか色々流れてくるし後輩は今度初ライブやるしIN THE POOLは新体制だしamazarashiのツアー始まるしでも俺大学卒業してもう1年以上経つのになーーーーーーーんもしてないし無職経験したしピザ運んで

「ありあしたー」

っていうだけだしDbDのブラッドポイント2倍期間なのにそれすら回してないしエペランクむずいしヴァロ飽きたし。曲作れよ。散々ブログでも書いたのに。怠惰すぎ。ブレイクスルー佐々木見てできる人間になった気でいるなよ。バカめ。ブルーピリオドおもろ。

うんこうんこ。glo吸お。

ニートになりました

本当にお久しぶりになってしまった池田です。

別にネタがあって書き始めたわけでは無いので支離滅裂になっても許してください。

 

ニートになりました。アツいタイトル回収。

 

大学を4月に卒業して就職していなかった僕はそのままアルバイトを続けていました。元々はamazonの配達やってたんだけど、店自体は新聞店です。amazonは委託されてやってるだけでそのためのバイトとして僕が雇われてたわけですが、元々わりかし年齢高めの従業員が多くかつ人も少ない店でした。僕が新聞を配り始めるのも時間の問題だったのでしょうね、大学卒業しても続けますって言っちゃってたし。

新聞配達は朝と夕の2回あるわけですが、僕は朝だけって話でした。余談ですが働き始めた時は新聞はやることないよって言われてたんですけどね。「話が違う」って地団駄踏んだりしてたら変わってたのでしょうかね。

朝と言っても出勤時間が2時なので深夜です。終わりは早くて5時半、遅くて6時半ぐらいだったかな。

最初は余裕だと思ってたんだけど、体の方は大丈夫でもメンタルがやられまくっていきました。

配達先はリストみたいになってて持っていけるサイズのものがあるんですが、毎度毎度それをみながら配ってると日が暮れるもとい日が昇るわけです。だから最初は仕方なくてもあとになってくるともう何も見ずに配達できるようになるんです。

ただたまに入れ忘れ(不着と言います)があるんですね。これをしないように気をつけながら配達するということを3時間ずっと続けるのがどうやら僕にはしんどかったようです。

それにも慣れてきた頃には今度は雨で新聞が濡れてしまった時の絶望感があります。

新聞自体は大量に店に届いて余りの方が多いくらいなんだけど、新聞に挟むチラシは1、2部程度しか余りがありません。もっと言えば日によって配る配らないがあるところもあるので、余りはないなんてこともザラです。今思えば多めに組んでおいて貰えばよかったんですけど、僕が担当していた区域を僕だけが配るわけではなかったのであまり僕の都合で勝手なことはしない方がいいなぁと思ってしていませんでした。

雨の時には1部ずつ機械でビニールに入れていくんですけど、このビニールがとにかく薄い。コン○ームかと思うくらい薄い。僕が雨の時にビニールに入れて配達した時に1部も破れていなかったことは一度もありませんでした。そのくらい破れやすいんです。他の人はどうしてるんだろうと盗み見ようとしても自分のチラシ組む作業もあるからそんな余裕ないし、聞くのは迷惑だろうと結局ほぼ我流でどうにかできないかとやってきましたが、なにしろ毎回が本番なので試行錯誤なんてできないのです。もし足りなくなったら一度店に戻ってまた届けに行ってってやることになるので帰りが遅くなるし、もうとにかく早く帰って寝たい僕は保守的な策に落ち着くこととなりました。

結果として早く寝たいし失敗もしたくなかった僕はとにかく怯えながら、ある種何かに祈りながら配達をしていました。そういう精神に対するダメージが蓄積した結果、僕はニートになることを選んだわけです。本当に人生追い込まれない限りは二度と新聞配達をやることはないと思います。

そもそも雇用契約書みたいなものもなく口約束だけで始まったアルバイトだったわけで、辞める時も淡白でした。腹いせにこないだ給料受け取りに行った時に待ち時間でタバコバカバカ吸ってやりました。

 

長くなったけど以上が僕がニートになるまでの経緯と心情です。

 

いろんな人に言ってるように年内はニートをやっていくつもりだし、年が明けたらバイトしようとは思ってます。

ただなんか周りが優しすぎるんですよね。ニートに対する風当たりってもっと強いものだと思ってたんだけどなぁなんてことも考えます。

もっと音楽にのめりこめると思ってたんだけど、やっぱり好きじゃないのかなとか考えちゃいます。

考える時間と寝る時間だけはたくさんあるので、たくさん考えてたくさん寝てます。考える内容はしょうもないことばかりですけども。

それとよく夢を見るようになりました。

人に会う夢、女の子とデートする夢、もうちょいやらしい夢、大学に行く夢、SF的な夢、好きだった子との思い出を追体験する夢、怖い夢、悲しい夢、その他諸々。

起きて泣いてることもありました。内容を覚えてることも覚えてないこともありました。もちろん夢を見ないこともたくさんありました。

バイトだけしていた頃も日々の変化は少なかったけど、それ以上に今は何もないです。学校に通っていた頃に耳がタコになる程聞かされてきた「大人になった時に苦労する」瞬間はきっと今なんじゃないかとか考えてます。もっと酷い未来が待っているようなそんな気すらします。

ニートだからクズなのではなく、ニートで何もしていないからクズなのだと、今理解しました。

夢はあってもそこに至るための希望はありません。

まだ若いと言われているうちに何かを始めなければ、右肩下がりの人生になるのだと、もうすぐ若くなくなる今頃気づきました。自らをおじさんだと自虐できるのはそれなりに頑張ってきた人だけです。頑張ってこなかった人間が言うそれはもはや自傷行為なんじゃないかと思います。

 

友達が1人もいなくなる前に何かを始めたいと思います。死ぬ時に1人は少し怖くなりました。

誤用と適応/順応

日本語ってほーんとに難しい。

多分諸外国言語のネイティブの人たちの習得率より日本人の日本語の習得率は低い気がする。というより下がってるような気がする。

 

結構前に「〜せざる負えないじゃなくて〜せざるを得ないだし、永遠とじゃなくて延々とだから云々」みたいなツイートをしたんだす。

これは明らかな誤用で正直僕は許せないんだけど、上から言わせてもらうと読みに関する誤用なので日頃文章書かない人からすれば気づきにくいからまだ許せるかもしれん。

今回取り上げたいのは、日本語は時代に則した言語である、ってこと。

僕は身近な例しか出せないのでご容赦ください。

「一択」って言葉を使ったことはあるでしょうか?ちなみに今変換は一発で出てきた。

これ実は辞書に載ってない言葉らしいんだよね、大分前の記憶だからもう載ってるかもだけど。ただその当時も普通に使われてたなぁと思う。

「二択」は載ってたんだけど「一択」はなかった。じゃあなぜ使われてたって、それ以外に適した言葉がないから。もはや新語と言ってもいいくらいだと思う。

日常において正しいと思って使っている言葉は、僕らが生まれる前、先人が何かを参考にしたにせよしてないにせよ考えて生まれた言葉だと思う(ちょっと歴史は中学の時1をとったことあるから調べたくないので勝手に調べて欲しい)。結局人が作ったものなので、あらゆる事象や物に呼び名がつけられてるとは到底思えない。ましてどんどん新しいものが生まれていく世界なんだから、それに名前をつけていくのは当然で自然だ。そうやって生まれた言葉をあたかも先人を崇拝するみたいに切り捨てるのは間違っていると思う。そして現に意識的か無意識的か、そう思っている人がいるからこそ新語は定着していく。タピオカとかナタデココとかアロマカリスとかなんかそういうやつ。

言語は人が話すのだから、人の価値観や文化が変わる以上柔軟であるべきだと思う。逆に言えば言語は一つの文化であって、それを縛ることは人を縛ることに他ならないと考えている。

 

長い上に堅苦しい文章だったけど、真面目な内容だったので堅くならざる負えないね。

はい池田アウト タイキック

 

日々の気づきについて

おひさのしぶりです、いけだです。

最後に記事を書いたのはいつでしょうか。以前は1ヶ月書いてないとメールで催促されたものですがそれ以降はしてくれないんですかね。放置し過ぎた派遣の仕事メールみたいにぱったりこなくなりました。

なんせ書くことがないもので、というよりつい1、2週間ほど前までゲームする暇ないくらい忙しかった。終わって抜け殻みたいになってるけど。

抜け殻なりになんかしなきゃと思ってペンを取ったわけですが、

友達がジャスミンティーを買ってたんだけど、パッケージに「銀毫20%配合」って書いてあって調べたのよね。そしたらジャスミンティーに限るのかわからんけど茶葉の等級の話だった。銀色の茶葉らしくて、綺麗そうだよねー。

みたいな、まあどうでもいいって切り捨てることはできる役に立つ場面がほぼなさそうな話なんだけど、そういうことの積み重ねで日々は出来ている気がする。

最寄り駅に向かう途中に綺麗な花を咲かせる木があるとか、いつも行くコンビニの店員さんが今日はいないとかなんかその程度でも、いつもとは少し違う日常があるという気づきで素敵なものになるんじゃないかなぁなんて思ったりします。

そういうことに気づけなくなったら余裕がなくなっている証拠なのかも、とも思ったら思わなかったり。

そりゃそうだろって内容だったかも。

1日の行動ターンを増やしたい

最近「人と会うと会話して満足してしまいブログを書いていない」ということに気づいたので、人に話し過ぎる前に書いてしまうことにした。

 

行動ターンっていう表現伝わるでしょうか。

RPGの戦闘とかにありがちなアレね。

攻撃してそのターン終わりだけどキャラによって2回あってバフかけたりした後に攻撃できるみたいなやつ。あれがリアルでもあるのではっていう話です。

 

仕事して早上がりで美容院行って帰宅して自炊してzoomで飲み会、とかやっていられる気力はないわけですよ。割と例が普通すぎたかもしれない。有能な人の生活を知らない。

下手に例を出そうとするからいけない。

自分で言うとですね。

授業受けてバイト行って帰りに古着屋で服買って帰宅して曲の練習してなんなら動画も撮ってみたいなことができないわけですよ。

できて2個。しかも必要に迫られてる時だけ。

授業は必然なので1ターン消費されちゃうし、それがない時は基本的にバイト入れるわけですね。めんどくてバイトしてないと金欠になるので僕が金欠になるのはそういう経緯があります。

僕なりに策を講じてみたことはある。無理矢理予定入れたり人に宣言しちゃったりとかね。今はジムに追われてるけど。結果的にうまく行った試しはなくて。

結局のところ行動ターンの正体は「元気」なのではと思う、身体的にも精神的にも。

元気って「気の元」なんですよ。つまりわからん。

某龍玉を集めるアニメで出てくる元気を集めた玉って大変な技なわけよ。

その日の夕飯で一品多く使っちゃおうかしら♪なんていう主婦の元気。

今日は一駅前で降りて歩いてダイエットしよう!なんていうサラリーマンの元気。

ゲームしたいけど明日試合だから素振りしよう!という少年の元気。

明日バイトだけど店長に新しいサービス提案してみようかな?というフリーターの元気。

そういう元気を少しずつ集めてできたのがあの玉なわけよ。そら強敵もバッタバッタよ。

主婦に一品多く作らせ、サラリーマンにダイエットをさせ、少年にバットを振らせ、フリーターに勇気を出させる元気がそう簡単に出てくるわけがないんですよ。

意識高い系ではなくモノホンの意識高い人が1日にありえない量の何かをこなしているのを熱い情の大陸とかそういうので見たことあると思うんですけど、とどのつまりああいう人は気の元の初期値が高い人たちなんだ。

子供も当てはまると思う。中休みとか昼休みせいぜい10〜15分しかないのに外出てドッジ(チではない)ボールして最後に誰が片付けるか小競り合いしてチャイムがなり終わる頃には教科書出して机に座ってるわけよ。学校終わってからゆうたくんの家でスマブラして終わって帰ってからご飯を食べてはねとび見ながら宿題をやるんですよ。これは親の尽力なくしてはできないけど。

彼らはやっぱり気の元が多いってこと。僕らが大人になってから1日数ターン行動できないのは気の元が多くないからなんだよね。

そうか、僕らには気の元がないから仕方ないのか、じゃあ諦めよう。

それじゃあクリリンが化けて出るよ。

気の元を増やそうって話ですよ。

僕なりに行動ターンが増える条件として

 

①強制的にやらなければならない事情がある

②精神がとても安定している、機嫌がものすごく良い

 

のどちらかが必要だと思う。

注目すべきは2つ目。

最近気づいた、QoLは大事だと。

クオリティーオブライフっていうなんか中学校だか高校だかで習った言葉の頭文字《イニシャル》を取ったものなんだけどつまり生活の質が大事だって言いたいのです。

生活の質を上げるのって元気がいるんだけど、実はなんか意識高い生活してると気分が良くなって、結果的に生活の質も上がるし、それで元気が出てくるっていう好循環に入れるわけですよ。モーニングルーティーンとか憧れるでしょ?あれですよ。

こういうのを崩すのが夜更かしとか暴飲暴食とかやけ酒とかなんだよね。あとYouTubeの見過ぎ。

意識高い人っぽく行動ターンを増やすには意識高いっぽい生活を送って気の元を増やすのがいいわけです。ちなみにいい匂いを嗅ぐとQoL上がるよ。これは最近の研究で科学的に実際に証明されてません。

 

みんなも気の元を増やして行動ターンを増やそう!